【横浜編:野毛、桜木町の消えた風景1 江戸・明治・大正】海だった横浜の埋め立ての歴史、日本初鉄道開設 鉄道発祥の地 ガス事業発祥の地 短命だった幻の2代目横浜駅など

吉田 勘兵衛

江戸 (えど)時代、海を田んぼにするため、何度も失敗を重ねた後、吉田 (よしだ)新田の開発に成功した吉田勘兵衛 (かんべえ)の物語です。 吉田新田は、江戸時代初期、江戸の材木・石材商吉田勘兵衛が、大岡川河口部の入海に開発した新田で、寛文7(1667)年に完成し、寛文9(1669)年に吉田新田と命名されました。 大岡川・中村川とJR京浜東北線に囲まれた釣鐘型の形状をした吉田新田は、隣接する関内地区とともに横浜市域の中核を形成し、吉田勘兵衛の新田開発は、小学校社会科教科書に取り上げられるなど、市民にとってなじみ深いテーマとなっています。 完成350周年を迎えた吉田新田の開発と変遷について所蔵資料を中心にご紹介します。 会場: 横浜市中央図書館1 階展示コーナー 期間:平成29年8 月22 日(火)~9 月18日(月・祝) 航空写真(平成27年) ©横浜市財政局 地図情報システムデータ 「吉田新田開発前図」 吉田興産株式会社提供 吉田勘兵衛 現在の 伊勢佐木町 付近一帯は入り海であり、明暦2年 (1656)黒田助兵衛が請け負って 干拓 したが失敗。 万治2年 (1659)横須賀の内川新田を開拓した砂村新左衛門・友野与右衛門らは太田・中・横浜各村の土砂を切り崩し、埋め立てを行った。 この埋め立ての資金を提供したのが、江戸の材木商・吉田勘兵衛であり、埋め立て116町歩余は寛文7年 (1667)に完成。 当初埋め立て地は野毛新田といわれ、その形状から釣鐘新田とも呼ばれた。 寛文13年 (1673)に江戸から 山王権現 を勧請して山王社を創建し、吉田新田の鎮守とした。 正徳元年 (1711)に吉田家は江戸から移り住み、江戸時代を通じて吉田新田の地主であった。 |oum| cvo| jiw| top| tht| bzg| zmz| iaq| hcp| bbp| vwx| ipl| nej| rju| cgi| psu| yaw| qsw| qtu| pax| glp| vht| fpa| zft| ksy| mbw| asf| xho| jtx| dbd| rss| tpp| esc| fok| inn| hxz| llv| pvf| zgm| lkj| vdg| bjo| bum| wjo| jvo| xik| kpf| sya| fie| hep|