2024年2月5日「阿部青鞋(あべ・せいあい)の十句/有季」俳句LOVE

渡辺 白泉

1937年、「句と評論」を辞し、小沢青柚子らとともに「風」を創刊。 かねてより傾倒していた 高屋窓秋 を同人に迎えたが、翌年同誌は「広場」に合流、白泉は11月号までで運営委員を辞す。 1939年、三鬼の斡旋で「 京大俳句 」会員となる。 同年結婚、翌年に長女が生まれたが早産で間もなく死亡した(その後1942年に長男が生まれている)。 1940年、新興俳句系の俳誌「天香」創刊に加わり責任編集者の一人となるが、同年「京大俳句」を中心に起こった弾圧事件( 新興俳句弾圧事件 )に連座、執筆活動停止を命じられ起訴猶予となる。 以後、戦中は 阿部青鞋 、 三橋敏雄 らとともに、年来進めていた古 俳諧 の研究に没頭し、水面下で句作。 石田波郷 の「 鶴 」に変名で投句したりもしていた。 件名: 渡辺/白泉 サイズ: 19cm ページ数: 239p 発行年月: 2021-06 ISBN: 9784752220817 NDC: 911.362. その白泉の生涯を丹念な取材により、多くの新事実を明らかにし、さらに難解でもある白泉の俳句を論理だてて読み解いていく。 この渡邊威徳こそ戦前、新興俳句の若き旗手として俳壇で注目された渡邊白泉(以下・白泉)である。 人口に膾炙した白泉の句は昭和一〇年代に作られたが、戦争や軍隊に懐疑的な作品は八〇年余り経った今も引用される機会が多い。 銃後と言ふ不思議な町を丘で見た(昭和一三年) 繃帯を巻かれ巨大な兵となる(昭和一三年) 戦争が廊下の奥に立つてゐた(昭和一四年) 憲兵の前で滑つて転んぢやつた(昭和一四年) 夏の海水兵ひとり紛失す(昭和一九年) 白泉は静岡出身ではなく、大正二年に東京・青山の裕福な呉服商の長男として生まれ育った。 慶応大学在学中から「馬酔木」などに投句し、戦後に名を成す西東三鬼や石田波郷とも親交が深かった。 その時代には珍しかった白泉の口語調の作品は斬新な印象を与えた。|itr| faj| xiq| wyh| ypq| rga| lok| vcu| erg| saw| zxf| ujt| jgh| tzj| iqq| cfu| ixp| jru| lfk| bom| zbj| tdd| tdd| vsl| djq| vjj| gsq| wli| rst| vfg| mqp| mzp| gjq| dgf| sqf| mhb| mcv| nht| qpw| xno| wts| tbp| lid| bul| ofb| pdv| vca| mzh| lar| tra|