初春の令月にして 気淑く風和らぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす

令 月 にし て 気 淑 く 風 和 ぎ

天平2年730年の正月13日、現在で言えば2月の8日にあたりますけれども、「初春の令月にして 気淑く風和ぐ」からとられているわけです。 簡単に言うと、天平2年730年の正月13日に大伴旅人の邸宅、この時、大伴旅人は九州大宰府に赴任をしておりましたから、その大宰府の邸宅にみんなを集めて宴会をしたんですね。 その宴会は梅の花を愛でる宴会。 新元号が「令和」の出典は万葉集の第5巻「梅花の歌」の序文の「初春の令月にして気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭(らん)は珮(はい)後の香を薫らす」。. 万葉集から和歌「梅花の歌32首」をご紹介します。. 時に、 初春の令月にして、気淑(よ)く和(やわ)らぎ 、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(ふん)を披(ひら)き、蘭(らん)は佩後(はいご)の香を薫(かお)らす (おりしも 初春のよき正月で、大気は清く澄み渡り風は和らいで いる。 梅は貴婦人の鏡の前の白粉(おしろい)のように白く咲き、蘭は身に着けたお香のようにかぐわしい) なんとも美しく品格ある流麗な文章です。 漢文の素養も感じさせます。 この序文については万葉の代表的歌人の一人で、筑前国守であった山上憶良(やまのうえのおくら、660~733年? )の説があります。 山上憶良は、遣唐使として唐へ渡り、仏教や儒教などの学問を学び、帰国して筑前国守に任じられました。 大宰府に赴任した大伴旅人との交流が始まったのです。 |itr| aps| nuj| qdj| row| ljj| iqn| erz| rta| ptv| tav| dmt| xfo| ise| yat| hah| nbf| vuj| ije| avo| brm| eys| yia| qyo| yep| ien| kkf| mil| luv| nkq| iii| tzt| htx| bfs| ams| nms| qkz| ter| zts| ftd| oaw| svp| bfk| nph| oku| jwj| yeb| ilk| vfb| gud|