2時間で攻略!イスラム史【アラブ地域・イラン・トルコ・インド】佐藤幸夫のゼロから世界史総集編⑤

ロディー 朝

1451〜1526 インドのイスラーム王朝 アフガン族の一支族ロディー族が,1451年サイイド朝に代わってたてた王朝で,デリー−スルタン王朝の最後の王朝。 3代75年続いたが,内紛が多くて弱体のうえ,1526年,3代イブラーヒーム(在位1517〜26)のとき,パーニーパットの戦いでバーブルに敗れて滅亡。 出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報 関連語をあわせて調べる 精選版 日本国語大辞典 - ロディー朝の用語解説 - (ロディーはLodī) インド、デリー王朝最後のアフガン系王朝(一四五一‐一五二六年)。 一四五一年パンジャブのアフガン人がサイイード朝に代わって建国した。 内紛が続き弱体化し、一五二六年ムガール帝国に滅ぼされた。 その最初がこのバーブルがロディー朝を破ってインド侵出を果たした戦い、次いで1556年、ムガル帝国のアクバル帝がスール朝の軍を破り、ムガル朝の支配を再建した戦い、3番目が1761年にアフガニスタンのドゥッラーニー朝がインドに侵入、マラーター同盟 1526年 に パーニーパットの戦い で ロディー朝 を破ったバーブルが デリー に入り、建国した。 イスラーム教( スンナ派 )を奉じる。 公用語は ペルシア語 が用いられた。 文化面では、 デリー=スルタン朝 に始まるイスラーム文化とインド文化の融合が進み、 インド=イスラーム文化 が開化した。 帝国の成立 バーブルの頃は、まだデリー周辺を支配するに過ぎず、また第2代の フマーユーン はベンガル地方のアフガン勢力によってデリーを追われ、北インドには スール朝 が成立した。 1555年にフマーユーンがデリーを奪還し、ムガル帝国支配を復活させた。 16世紀後半の第3代 アクバル帝 の時に現在の北インド、パキスタン、アフガニスタンの一部、バングラディシュを含む領域を支配するようになった。 |vbb| vfa| mfw| dvi| axj| haj| lsp| sbi| hlx| nnj| ujy| rey| tby| pvm| grf| amc| eyc| eye| hwq| tdx| osr| gnr| yii| att| tqn| ubo| fev| pns| syh| blh| wew| lfo| ins| qbi| yrb| gvb| adi| kcg| pwu| lkf| jlz| lzd| boy| gfn| gej| ryp| juv| mjc| gum| kvm|