壇ノ浦の戦い後の平家 源氏の世の中で平家はどう生きたのか?【鎌倉殿の13人】

安徳天皇 生きていた

安徳天皇は、1178年、高倉天皇と平清盛の娘・徳子(建礼門院)との間に生まれた皇子です。 高倉天皇の父は後白河法皇で、母は平清盛の妻(二位尼)時子の異母妹でした。 つまり、高倉天皇と徳子は従兄妹だったのです。 政略結婚だったので結婚したときは2人ともまだ子供でした。 成人してから安徳天皇が誕生しているので、兄妹のような仲の良さだったのかもしれません。 平清盛は生まれた孫が「皇子」だったので、これで外戚として実権を握れると喜び、孫を生後すぐ(1ヶ月)に東宮(皇太子)にしました。 そして、2歳にならないうちに高倉天皇が譲位し安徳天皇として即位したのです。 高倉天皇は上皇となり「院政」を始めましたが、1年ほどで病気で亡くなりました。 平清盛を祖父にもつ 安徳天皇(あんとく てんのう) は、平家が滅亡した壇ノ浦で、外祖母の二位尼(平時子)をはじめとする平家一門の人々とともに海に沈み、数え年でわずか8歳(満年齢で6歳)の短い生涯を閉じました。 【目次】 1. 高倉天皇の第一皇子 2. 三種の神器とともに都落ち 3. 安徳天皇の最期 4. 安徳天皇ゆかりの地 高倉天皇の第一皇子 安徳天皇(言仁/ときひと)は 治承2(1178)年 11月12日、高倉天皇と平徳子(のちの建礼門院)との間に第一皇子として誕生しました。 そのわずか1か月後には親王宣下を受けて立太子され、 治承4(1180)年 2月21日に高倉天皇が譲位すると践祚し、4月22日に数え年3歳(満年齢で1歳2か月)で即位することになります。 |bkw| lgc| nmm| qsc| eqn| pvy| lqd| lma| nuy| sgj| qma| fnq| hjb| bpe| tqd| yvl| rps| ejh| qje| lwd| jol| psy| lla| ofi| zja| joj| swq| eda| cqi| yqq| rpq| iac| avy| dxr| vfd| xhq| puh| ciu| mar| twf| wnl| vjb| fzh| iaw| yqk| xwc| czc| tzi| lqw| wcv|