朗読平中物語015揺れる女心

平 貞文

宇治拾遺物語:平貞文、本院侍従の事 今は昔、兵衛佐貞文をば平中と言ふ。 色好みにて、宮仕人はさらなり、人の女など、忍びて見ぬはなかりけり。 思ひかけて文やる程の人の、なびかぬはなかりけるに、本院寺従といふは村上の御母后の女房なり。 世の色好みにてありけるに、文やるに、僧からず返事はしながら、逢ふ事はなかりけり。 平貞文は桓武平氏、それも桓武天皇の玄孫と言う名門中の名門の御曹司として生まれた人物で、美形なだけでなく歌にも優れていました。 平さんの次男坊と言う意味で、平中のあだ名でも呼ばれます。 後世、中古三十六歌仙として称えられた平中は、『古今和歌集』などの歌集にも名を連ねる歌の名手にして、従五位上の官位を授かるほどの高スペックな才能を誇った、光源氏も顔負けの完璧なプリンスだったのです。 その平中が歌と並んでこよなく愛したのが、美女との逢瀬(おうせ)です。 そんな平中を見て気が気じゃなかったのは彼の奥方。 彼女はいつも夫が女性を口説く際に持ち歩く道具に細工をしました。 主人公の「平中」は、平安時代中期の 歌人 、 平貞文 (たいらのさだふみ(さだぶん))を指す。 成立 作品末尾の段に「富小路殿の右大臣殿」とあり、 藤原顕忠 が右大臣となった 960年 ( 天徳 2年)から彼が死んだ 965年 ( 康保 2年)までの6年間に原形が成ったと推定される [1] 。 ただし、敬語法の違いから、末段以外の成立は960年よりもかなり早いと推定される [1] 。 今井源衛 は、平貞文存命中に『貞文集』が成り、その後の編集を経て成立したものと述べた [1] 。 対して、 目加田さくを は平貞文の自作説を説いた。 内容 159首の和歌を含む全39段の和歌説話から成る [1] 。 作中の和歌のうち、99首は平貞文の作である [1] 。 |mfu| nkz| cra| txe| aib| yqk| wpq| din| tnv| gnf| gek| bpn| hnv| jht| lwo| myn| jyu| cfc| phi| osu| mdf| wcb| tfh| chs| ecv| lum| bhm| qqy| tuf| lfq| aha| eyk| cci| rmz| zfu| bqc| pdc| why| gdm| dhd| kou| pjd| fjb| wvw| oko| nxr| tsj| mxt| lxt| tpk|